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みんなのおかげで !!! 。。。食文化を専門に30数年をイタリア在住したEnogastronomoが書いてます。お役に立てれば。

イタリア食の歴史 シチリア島 4

前回のTonnina alla Siracusana (シラクーサ風メスマグロ料理)に入ってる古代にはなかった食材 お分かりになられましたか ???

 

中南米からスペイン経由でイタリアには1596年に装飾植物として伝わりました。

いつも野菜コーナーにある 赤くって丸々としてるアレです。

。。。最近いろんな色と大きさがありますが。(7月?8月?にこの植物について書きたいと思います。)

 

 

今日もお付き合いのほどよろしくお願いいたします。

 

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シチリア島は紀元前600年から紀元前265年にかけて古代ギリシャと海洋民族でカルタゴを建国したフェニキア人の間、殖民都市としても交易拠点としても便利なシチリア島シラクーサを包囲も要塞都市で陥落できずに、カルタゴシチリア島から撤退し、シラクーサも独立を当初維持するも、共和政ローマの属州に組み込まれた。

ローマ人は荒々しい(野蛮)人々で、この地の公衆浴場・床屋・12時を知らせる太陽時計など洗練された様子を想像していなかった。

もちろん美味しい食事と美味しいワインを飲む習慣も。。。

。。。ただ当時のシチリア人のニンニクと玉ねぎが大好きで、口臭は相当のものだったとの記載も残ってます。

 

持ち込まれたギリシャ語のGaron(魚の塩漬けとハーブ入り) がこの時ローマ人の知るところとなりラテン語のGarumとして後世に残されてますね。

古代ローマ人たちは、家庭では魚を直火焼きしたり茹でたりしたが、Allec (Alex = Allectare = Alettare = al bere)は喉が乾くドロドロしたアンチョビペーストとしてもローマ人たちも重宝してた模様。

 

f:id:grazieatutti:20180502180505j:plainPompeiのCauponae

ローマに通じる街道には、国営伝馬制度の配達人の宿駅Mansioができ、付随する民間の食堂兼安宿Cauponae(呑んだくれや荒くれ者や売春が横行)や馬も休めるTabulaが周り造られた。

ローマ街道に接する家は法律上訪問客を招待しなければならず、Patrizi(貴族)は整った環境を好みTabernae(=Ostello宿)が始まる。アッピア街道のSinuessa(Mondragone-Caserta)にあるTabernae(現代でいうアグリトウリーズム的な存在で)が野菜・チーズ・ハムなど整っており非常に美味しかったらしい。

 

 アウグストウス帝が帝国全土に配備した国営伝馬制度「クルスス・プブリクス」の急使がローマ街道を走る時、馬を交換し休憩する交換所(Mutatio)が10Mille passus(ミッレパッス14.8km)ごとに設け4-5箇所ごとにMansio(宿駅:国営施設で帝国官史や特別な許可を持ったもののみ利用可能)を整備。

 ローマ街道は紀元前312年アッピア街道が始まりで、主要幹線道路約8万6千km・全ての道路の総延長は29万kmに伸び、最終的にはガリア・ブリタニアイベリア半島・アフリカ・ギリシャなどの属州に地中海全域を網の目のように敷設。 

 料理は揚げ物中心に出され、他にもロースト肉や調理済みの野菜などで、ミントやクミンで風味づけした魚の揚げ団子や牡蠣料理など豪華な食事に慣れていたローマ人も、ストリートフードやテイクアウェイを楽しんだ。

f:id:grazieatutti:20180502180411j:plainThermopolium

街中にできたTaberna(タベルナ)は、通りに面した個人の家の壁の一部をくり抜いた窓から料理を提供。進化してThermopolium(テルモポリウム)は壁を取り除き、石のカウンターに5〜6壺の設備を整え温かい料理を入れワイン壺(Dolia)を用意し、通りがかりの人々に販売。奥に調理場と小さなスペースで食事ができるようになる。食事ができるスペースが大きくなりテーブルに料理とワインを運んで来てくれ高級店をPopinaeと呼び、簡易食堂をGurgustiumと呼んだ。

 

また今日も寄り道したまま終わりますが。。。

 

最後までお付き合いいただきありがとうございます。

 

—続く〜—

 

 

参考資料

シケリア戦争

クルスス プブリクス