前回は「キッチンから食材」の出だしを、ご紹介いたしました。
今日は当時の料理は何で香り付けをしてたか? そしてパンのさわり です。
お付き合いのほどよろしくお願いいたします。
古代ローマ時代のこの時代に香りづけとしてよく使われたのが、胡椒・クミン・ラベージ(セリ科)。
胡椒は紀元前100年から「万能薬」(toccasana=トッカサーナ)として、非常に高価に販売されていた。92年になると、特別に作った倉庫に保管されるようになった。当時は女性のための鎮痛剤やドクニンジン(Cicuta)の解毒剤として処方された。ジュネパーベリー(セイヨウネズの球果)を粉にして混ぜたり、鉛塩や水銀塩を加えて重量を調整した模造品が多く出回った。
当時のグルメ本「アピシウス」では、胡椒に蜂蜜を加え、甘みにビリッと刺激のある不思議な味わいを作り上げた模様が記されており、現代もシエナのパンペッパート セネーゼ(Panpepato senese)に名残を感じることができる。
クミンは、胃のガスを抜くために多く使われた。暴飲暴食の悪影響を心配したコックは救済処置として、クミンを入れるようにしていた。
ラベージは、いろんな料理に加えられ、どこにでも植えられていたが、現代では見かけることがなくなった。利尿効果で使われ、セロリに変わった。
古代ローマ初期ではパンはまだローマやラーツイ一体では知られておらず、Marco Porcio Catone(紀元前234年—紀元前149年 マルクス・ポルキウス・カト・ケンソリウス)曰く、ファロ麦や大麦や粟(あわ)や穀類の練り物(Puls=Polentine)を主食として肉や豆類やチーズとともに食した。次に登場したのが、無発酵のピアディーナ(Piadina)で、ピアディーナが発酵したものを焼くとクリスピーに。
その後紀元前3世紀ごろギリシャからデユラム小麦が持ち込まれ、紀元前171年にローマでパン屋が数軒出来て72種類のパンを売り始めた。とプリーニオ(Plinio:プリニウス)が伝えている。
エジプトでは紀元前3500年ごろにはパン生地の発酵を知り1日寝かした生地を翌日焼いて柔らかいパンを食べていた。ギリシャ(夜練って朝焼く)経由でイタリアにも。イエス・キリストの最後の晩餐を模して、Eucarista(聖餐(せいさん)・聖体拝領)にカトリック系では無発酵パンを使い、正教会系では、発酵パンを使う。
イースト発酵の技術で、パンの種類が増えた。Panis Cibariusは色が濃く安価で貧しい人々でも手に入れられた。Panis Secundariusは全粒粉を使用し、Augusto(紀元前27-紀元前14年在位ローマ初代皇帝アウグストウス(カエサル))も好んで食べた。
Panis Candidus(Panis Plebeius)は白く高価で金持ちのみが手に入れられた。Panis e Floreは、療養中の人々が食べた。他にもAutopyrusふるいにかけない粉な作り色が黒に近かった。Siligineusは薄力粉で作られ白かった。Parhicus/Acuaticusはスポンジぽく、Furfureusは大方麩(ふすま)で作られた。
美味しいパンも次々出てきて、串に刺して焼いたパンPane d’Alessandriaや陶器の器で焼いたパンPiceno(テーブルで器を割る)。Adipatusはラードを使った。Bucellatusはビスケットで、Osteariusは牡蠣に合わせるパン。
パン職人は、他にも軍隊用にNauticus, Castrensis, Militarisを練り、中でも美味しいと好評だったのが、Altolaganum(ピッツアビアンカ・フォッカッチャ)やStrepticius(小麦粉と牛乳とオイルと胡椒を混ぜ、パイ生地のように薄くして、熱した鉄板でさっと焼いた)。
当時のレシピも見つかってるので、追々作ってアップして行きます。
今日も最後までお付き合い頂きありがとうございます。
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