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イタリア食の歴史 古代ローマ  アピーチョ(=アピシウス) 13-2

 

前回お話した古代ローマのレシピを残した偉人アピーチョ(=アピシウス)の続きです。

 

お付き合いのほどよろしくお願いいたします。

 

   

 

食通で浪費家としても当時名の通っていたApicio(アピーチョ=Apiciusアピシウス)を、この浪費家を、セネカやタキトウスからは「彼には内面的な弱さがあった」と酷評。

セネカとは、ルキウス・アンナエウス・セネカ(紀元前1年—68年)政治家でストア派哲学者で詩人。第5代ローマ皇帝ネロの家庭教師とも知られる。

タキトウスはコルネリウス・タキトウス(55-120年ごろ)政治家で歴史家。共和制時代からの伝統的な元老院主導の政治を懐かしむ傾向が強く、元老院を重んじた皇帝(トライアヌス)達の評価は高いものの、対決姿勢の皇帝(テイベリウス・ドミテイアヌス)からの評価は低かった。

 

倫理観の高いアウグストウス時代に対し、この時代は多くのローマ人に好評だった乱痴気騒ぎのキュベレー崇拝が公式にもたらされた。

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キュベレー(Cibele)崇拝とはアナトリア新石器時代からヘレニズム時代(紀元前300年ごろから300年間)に崇拝された大地母神崇拝。ローマでは紀元前203年マーニャ・マーテル (Magna Mater大いなる母)と呼ばれ、外敵が攻めてきてもマーニャマーテルを招けば退けられると信じられ、大スキピオ(Scipio)が招き入れパラデイーノの丘にある勝利神殿に女神を安置した。

 

   

 

遡ってヘレニズム時代には、熱狂的な信者たちは、自ら聖なる儀式で完全去勢した男達で、儀式の後は女装し社会的にも女性とみなされた。信者達は一晩中続く荒々しい音楽・ドラムや剣と盾を叩く響き・踊りと飲酒で、女神への恍惚とした乱行的儀式に導かれた。

浸透していたため、倫理観もなく自分の意思を持たない宿命論に走る歴史家達が増えた。

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その後サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂が神殿のあった場所に建設されるとこの信仰も影をひそめることに。

 

このような倫理的に頼る場所のない不安定な状況下で、アピーチョも宗教や政治体制に興味を持たず、快楽を探求した。   

セネカによると、アピーチョは百万セステルツイを食に費やし、元老院からの贈り物を全て使い果たし、収入も贅沢な宴会に消えたと伝えている。例えば「約2kgのメバルに5000セステルツイを支払った。」とも。

生活レベルを維持できない財産(1千万セステルツイ)しか残っておらず貧困に陥ることを心配し毒自殺したと言われている。

古代ローマ軍の軍団長の年収が900セステルツイだった時代です。

 

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1 セツテルツイオが現代の価値で仮に換算すると約6ユーロで約800円。

2kgのメバルが4百万円 ?!

生活レベルを維持できない財産は 約80億円 ?!

軍隊長の年収が約72万円。。。

 

当時の「変わり者」の度合いが・・・(^^;)

 

今日も最後までお付き合い頂きありがとうございます。

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