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イタリア食の歴史 古代ローマ 4

古代ローマ 3」では、農業論や調理方法・饗宴など参考になる当時書かれた本についてご紹介。今日は当時の食事風景です。

 

お付き合いのほどよろしくお願いいたします。

   

古代ローマ初期(王政ローマ期紀元前754—紀元前509年)では、Ientaculum(朝食)・Cena(正午の主なる食事)・Vesperna(晩)の1日3食の食習慣が始まり、

共和政ローマ(紀元前509—紀元前27)にVespernaがなくなり、ローマ帝国時代(紀元前27—)以降はIentaculum・Prandium・Cenaになった。

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Varroneによると、「オープンスペースでみんな共に興じられる場所」で道路から入って直ぐのAtrio(中庭)(現代の中庭のオープンカフェの感覚だろうか)と伝え、厳格なCatoneは「昔の人たちは、2種の料理を昼食にAtrioで食べた。」と記している。

 

中庭には、炉の調理場とLari神に奉納するための奉納箱(Stipo)が置かれた。奉納金を投げ入れてから食事をした。

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 Lari神は、Laresラレース:エトルリア文明のLar(=父)から派生したラテン語Lar(=Focolare= 炉) の古代ローマの神で、家族の繁栄・財産・活動を見守る先祖の守護神。

テッラコッタ・木材・蜜蝋で作った先祖の像(Sigillum)を小さな礼拝堂(Laraio)に飾り、お灯を点し、重要な行事の折には、生贄と奉納金(物)をお供えし守護を祈願した。

   

主に12月17日のSaturnali(サトウルナーリア祭)で、年に1度の感謝の祈りを捧げた。古代ローマのサトウルヌス神を宿した祭り(農神祭とも言う)でもあり、紀元前217年ごろ第2次ポエニ戦争カルタゴ軍に惨敗後、市民の士気を高めるために12月17日1日だけ始まったのが、好評で1週間(12月23日まで)になった。お祭りは無礼講の饗宴で始まり、最終日の23日には家族間で小さなプレゼント(ラテン語の風刺詩人MarzialeはXaniaと記す)。を贈りあった。この期間は、社会的立場の逆転し、奴隷は一時的に自由の身になり、主人に口答えしても罰せられず饗宴にも参加し、時には主人のように振る舞った。彼らは面白いお面と赤(神の色)を基調にしたサトウルヌスやプルトンの神に扮した。(この時代は亡くなった人の魂や農業の神が深い地から蘇りさまよう期間が冬と考えて、多くの祭りとお供えに満足して早く帰って次の季節に豊作をもたらしてくれることを祈った。)

 

たまには日本の会社も管理職以上と一般社員を逆転させる「無礼講忘年会」やってくれれば、多少円滑に&現実がわかるような気もするんですが。。。

そんな役職者がこのブログを見ることは。。。無いわな〜 (インスタも怖い?)

 

今日も最後までお付き合い頂きありがとうございます。