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みんなのおかげで !!! 。。。食文化を専門に30数年をイタリア在住したEnogastronomoが書いてます。お役に立てれば。

イタリア食の歴史 古代ローマ 6

古代ローマ 5」では、食事風景をご紹介いたしました。いかがだったでしょうか 。

今日はその続き。

 

お付き合いのほどよろしくお願いいたします。

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 宴に呼ばれた参加者たちはまずトーガ(Toga)から非常に軽くて動きやすい シンテシス(Synthesis)に着替えた。(通常白色で汚れた時の着替えに数枚持って来た)。

 

トーガ(Toga)は一枚布の上着で古代ギリシャのヒマテイオンに比べ丈が2倍で幅は3倍あった。ヒマテイオンは両性着用もトーガは男性のみ。ヒマテイオン模倣説とエトルリアの長方形や半円形の布から発展説の2つが主流も八角型の布を半分に切った説が最有力。)

 

シンテシス(Synthesis)は通常白色で汚れた時の着替えに数枚持って来た。

 

奴隷は熟練具合と容姿で持ち場が決まり、一段と優雅な奴隷は、色の鮮やかなトーニカ(Tonica)の着用を許され、髪を伸ばしカールさせ、飲み物を混ぜたり肉を切り分けたりした。食堂内を掃除する奴隷は坊主頭で多少みすぼらしい服装だった。招待客は信頼のおける奴隷を同伴させベンチか席の足元に待機させ、食べ過ぎや酔った時の帰宅をサポートさせた。

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饗宴には常に宴の進行を任せられたトリクリナルカ(Triclinarca=ホールマネージャー)がいた。乾杯のワインの品質や食事中に出される飲み物(ワインを水で割る按配)から来客の着席場所(寝そべる大きいベットを設営。)

 

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中央にテーブルを置いて料理を出すスペースを取り、Summusは、向かって右側が重要でない来賓、その中でもclientesが一番下でソファーの数が足りない時はないこともあった。中央がmedius。左側がimusで重要な来賓で常にベットがあった。其々のベットに3人ずつ寝そべり、右から左へ重要度が上がった。

共和政の終わりには、饗宴は政治的手段と社会的名声の集まりになり、人数が増えると共にベットの配置がΣ(シグマ)型に置き6-7-8-12人が1辺に着けるようにし、一番重要なポジションが角に来るように座した。

 

料理はまず最初にGustatio(Antipasti-stuzzichini :前菜やつまみなどの先付)が出され、飲み物としてMulsum(蜂蜜入りワイン:ブドウを軽く搾汁した発酵前の液体(Mosto)に蜂蜜を6:1で加え、よくかき混ぜ約1ヶ月熟成させ濾過し保管ものが最高級品とされた。時には胃痛や強壮剤としても飲んだ。)が出された。その後7-8種類の料理が運ばれ(FerculaやPrimae Mensae : メイン料理)、最後にSecundae mensae(デザート)が出された。

 

家で「やってみたい」と提案したら。。。

  即レッドカードでしょうね。

 

今日も最後までお付き合い頂きありがとうございます。

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