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イタリア食の歴史 古代ローマ 9

古代ローマ 8」では、今ならNGのテーブルマナーなど紹介いたしました。

今日はまた当時の様子を。

 

お付き合いのほどよろしくお願いいたします。

 

   

 

貧しい人々も、Secundae mensae(デザート)をOsteria(居酒屋)で慎ましく楽しむことが出来た。男のみ神を信仰するための組織を作り集まったたり、飲む喜びとバッカス神への忠誠も儀式として重要だったが集まることで社会的な営みとしても重要であった。

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バッカス神はワインの神でもあり、饗宴の守り神でもあった。快楽の神様でもあるVenere(ヴィーナス)と共に祝う事で、全ての行き過ぎが容認された。

社会的な苦悩と逸脱の呵責からの逃避を見守る神様の存在に、飲んで食べて喜ぶことを覚えたお祭り好きな市民は、快楽の権利の正当性を見出し、神のための犠牲的な生贄は、お祭りや饗宴の肉となり、全ての状況が神聖な儀式と化した。

 

個人の家でも決まった日に神に捧げる生贄を捌いた。神を家に招き崇める饗宴に呼ばれるということは、非常に名誉なことだったし、奴隷にとってもご主人様のお陰で、神と食を共に食事ができることを大いに喜んだ。

 

 公の饗宴は政治家にとって一層有名になれる場所だったため、凱旋将軍や執行官や公共機関の執行官らは、このような会には頻繁に参加した。

カエサルもこの分野ではしたたかで、財務官(紀元前69年就任)に選出される時と同じくして娘のジュリアの追悼も合わせて行った宴は、招待客は6万9千人で2万3千ものTriclinium(3方ベットの食卓)を用意させ、6000匹のウツボを料理させた。

 

   

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 憎まれ者のDomiziano(81-96年在位: Tito Flavio Domiziano ローマ帝国大11代皇帝ドミテイアヌス。ユダヤ人やキリスト教徒を迫害。多くの愛人を囲い男色家でもあった。)が催した莫大な宴についてMarzialeは、「騎士も市民も執行官もみんなと食事が帝とできる。ローマは首領と共に特別の珍味の数々を受け取れる。もう与えたものをあたかもこれから与えるが如く素晴らしい将来を約束する。施物を約束しながら素晴らしい食事を提供してくれた。」と皮肉っている。夏はこのような盛大な宴は、広場や大通りでも行われた。

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上層階級の保養地のチボリでは人数を制限した宴を、ローマ皇帝ユネスコ世界遺産のVilla Adriana(133年完成)で公の饗宴を催した。

 

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