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イタリア食の歴史 ワイン 7

   

前回は、Vinum Falernumからトンデモナイ薄め方をした飲み方まで色々でしたが、いかがだったでしょうか。

 

今日もお付き合いのほどよろしくお願いいたします。

 

ギリシャ小アジアからのワインは樹脂やハーブや蜂蜜などいろんな香りづけがされていた。

シチリアナクソスカターニャ・エンナ・リーパリやエトナ山一帯でブドウが栽培され、その様子は紀元前550-200年のコインで知ることができる。

 

例えばこれが、紀元前520〜510年ごろにナクソスで鋳造されたドラクマコイン。

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表がディオニュソス(豊穣とワインと酩酊の神)で裏がブドウ房。

 

プリニウスは、Naturalis Historia(博物誌)で一般的にはギリシャのワインが美味しい賞賛した。また全ワイン生産量の2/3はローマ帝国内で生産されているとし、91品種のブドウと195種類のワインがあったとも伝えている。195種類のワインの内、50種類はコクがあり、38種類は国外産、18種類は甘く、64種類は模造品で、12種類は驚異的なワイン。と第14巻で詳細に記している。

   

大カトは8種類の良いワインを知っていた様子で、ヴァローネは10種類、ヴィルジリオ(ウェルギリウス:紀元前70-紀元前19年 ラテン文学黄金期の詩人。牧歌・農耕詩・アエネーシスで有名)は15種、Columellaは58種知っていたらしい。 

帝政時代にはアドリア海側のHadria(Atri)・Praetutti・Anconaのワインがギリシャに輸出されていた。 プリニウスの紀元前1世紀中盤、イタリアのワインはギリシャの高級ワインに匹敵する程の名声を得た。

f:id:grazieatutti:20180514161758j:plain←Numanzia

 紀元前133年にケルテイベリア人(イベリア半島に居住していたケルト人)を最後の砦Numanzia(現Soria :マドリッド北東約200km/サラコザ西約150km)で倒し、スペインを統治下に置いたこの頃にスペインからもワインがローマに運ばれ、詩人MarzialeはCeretano(Ceretのワイン= Jerez de la Frontera(スペイン南部アンダルシーア州ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ)=シェリー酒)が大好きだった。

一般的に共和政期も帝政期もローマ人たちはリキュールに近いワインを水で薄めて(季節によってはお湯で、比率は50%以上が水)飲む習慣があったが、ガリア(現ポルトガル・スペイン・フランス・ベルギー・スイス・オランダ・ドイツ一帯)ではストレートでそのまま飲んでいた。当時のおしゃれな飲み方としては、夏に布に山で取った雪を包み、ワインを通して冷やして飲むことだった。

 

ブランデーは元よりウイスキーグラッパなど40度前後をストレートで飲んだり、たまにオンザロックで飲む習慣はこの頃から一緒ってことですね。

こんな時代から筋骨隆々に鍛え上げられた肝臓のDNAを持つ野蛮人たちと比べちゃいけませんよね。

 

今日も最後までお付き合いいただきありがとうございます。

   

参考資料

Naturalis Historia(Italiano/Wikipedia