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みんなのおかげで !!! 。。。食文化を専門に30数年をイタリア在住したEnogastronomoが書いてます。お役に立てれば。

イタリア食の歴史 ワイン 8

   

前回はブドウの房がドラクマコインに使われるほど当時のワインが愛されていた様子などをご紹介いたしました。

 

今日もお付き合いのほどよろしくお願いいたします。

 

この頃の宴は、まずサイコロを使ってMagister Bibendiを選出、彼はお酒を飲めずに、ワインと水(湯)の分量を決めて混ぜる役目に徹する面白くない役を担わねばならなかった。通常は水割り配分は50%。

 

 ワイン生産には各地の戦争に勝利し連れて来られた奴隷の仕事だったが、敗戦が続くと、新しい労働力の枯渇で生産料が低下し、スペイン・ギリシャ・ガリアからの輸入に頼り始めた。特にスペインでのブドウ栽培が発展した。(逆に小麦の生産が低下し飢えに苦しんだ。)

第11代皇帝ドミテイアヌス(紀元81-96年在位)はブドウの新しい植樹を禁止し、既存の葡萄畑を半減させると公布した。(この皇帝当初は非常に穏健治世もユダヤ人やキリスト教徒を迫害したりで死後、「記憶から抹消」に処される暴君)

が守られることもなく、280年マルクス・アウレリウス・プロブス(276-282年在位 ローマ軍人皇帝)によって解除された。

   

古代ローマでワインは、赤をAtrum、白をCandidus、ロゼをRosatumと呼んだ。

 

共和政末期にバッカス祭が禁止され、Liberalia祭が始まり、その後Vinalia祭が行われた。Vinalia祭は、4月23日に前年度の収穫を感謝し、ユピテル(Giove ローマの主神)に感謝し献酒(Libagioni:祭壇に数滴撒いたり、地面に注いだりした模様)し、新しいワインを試飲した。

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                                         ↑   Flamen Dialis (司祭)の出で立ち ↑

 

他にもVinalis rusticaはラーツイオの住民たちが、8月19日にブドウの豊作を祈願。

お祭りのためにユーピテル神の使者と見なされた司祭Flamen dialisは、唯一元老院に出席できた者とされ、生贄(子羊)に火をつけユピテル神に献上し、祭りを取り仕切った。

現代のソムリエに匹敵するHaustor(es)は、ワインの味わいをdolce(甘い), corposo(フルボデイ), soave(心地よい), nobile(気品がある), prezioso(貴重な), forte(力強い), delicate(デリケート)など現代と変わらぬ形で評した。

 

当時から今までワインを前にすると差がなくなるほど時間の流れは。。。

 

今日も最後までお付き合い頂きありがとうございます。